【インタビュー】みんなを包み込む「こども食堂」をきっかけに多角的な支援につながる(さのだい子ども食堂 キリンの家)


コロナを機に始まった、自前の場所でのこども食堂

2018年7月から大阪府泉佐野市の集会所を借りてこども食堂をスタートしたのですが、コロナ禍になり集会所が使えなくなってしまいました。自主開催できる場所を持つことを検討し始め、でもどこから始めればいいかわからなかったし、団体の手元にあったのはたった数十万円。地域の空き店舗を使える目処は経ちましたが、改修費用にはお金が必要。そんなタイミングで今回の助成のことを知りました。助成交付が決まった時は、本当にうれしかったです。スタッフ全員で喜び合いました。
この助成があったからこそ、拠点を持つことができ、今の居場所づくりにつなげられていると思っています。
 
コロナ禍がこどもたちに与える影響はとても大きかったと思います。日常的な楽しみが減り、知らず知らずのうちにストレス状況下にさらされていたこどもの変化を耳にすることも多かったです。チック症状が出たり、友達や家族に対する当たりが強くなったり、振る舞いや言動が荒れてしまったり、スタッフの大半が保護者なので、私たち自身の実感や危機感も強かったですね。
 
現在は週4回、毎月16回こども食堂を開いていますが、コロナ以前は毎月1回の開催でした。にも関わらず、小学校ではキリンの家の話題で持ちきりだったらしいんです。こどもたちの間で「楽しみな場所」というイメージがあり、当時からたくさんのこどもたちが遊びに来ていました。ここには小学生から高校生までやってくるんですが、中学生になるとお兄さん・お姉さんとしてスタッフになってくれる子もいます。こどもたちが主体になり運営するカフェ企画「こどもカフェCOCCHA」への参加も多いです。成長してこの土地を離れても、帰省してまず訪れてくれるのがキリンの家だったりする。

 
こどもがこどもでいられる時間ってどうしても限りがありますよね。たった2〜3年でもとても大きな成長が見られる。そんなこれまでのつながりや思いも強く、高いハードルがあっても、多少無理してでも、こどもたちの居場所を守りたいという気持ちが原動力になりました。
 
 

こども食堂をベースにした、多角的なこども支援

助成金で地域の空き店舗を改修し、2020年12月にはこども食堂を再開。そこからここ数年で、こども食堂以外にさまざまな活動に広がりました。今では、不登校のこどもたちのフリースクール、オンラインの居場所づくり、フードパントリー、フードバンク、引きこもり支援、家庭の個別相談などを行なっています。

 
活動が広がったきっかけの一つは不登校支援です。学校に行かなくなってキリンの家にも来られなくなった子がいて、どうにかつながりを続けられないかと支援を始めました。そこから保護者から不登校の相談をいただくようになって、フリースクールを立ち上げたり、オンラインでも居場所支援を始めたり・・。こどもや若者には、とにかくいろいろな出会いをいろいろな手段で届けていきたいんです。
 
けど、いくら活動が広がってもすべてのベースはこども食堂です。不登校支援やフリースクールはある特定の課題や対象へのストレートな手立てとしての活動ですが、こども食堂は課題も対象も限定していません。こどもたちは、大人がラベリングする「課題」に関わらず、それぞれがそれぞれに何らかの事情を抱えています。こども食堂は、そんな「みんな」を包み込む支援なのです。だからこそ個別の支援につなげることもできる。すべてはこども食堂ありきで動いているのがキリンの家なんです。

 
僕らは、居場所と食事作りを通して、こどもたちのたくさんの経験やチャレンジを応援したいのです。こどもたちが主体のカフェ企画もそのひとつですね。その過程で自己肯定感を高めて、自分の人生に自分で踏み込めるような大人になってほしいという願いがあります。こどもたちに「ここにいていい」ことや「失敗しても大丈夫」なことを伝え続ける、自己受容を高める居場所を目指したい。
 
たくさんの個人や企業の方からご寄付をいただきますが、「お金をいただく」というより、ご寄付をいただく方自身の願いや思いを実現する実行者と思って活動を続けています。居場所は一度つくったら終わらせてはいけないと考えています。僕自身は「居場所」の可能性をめちゃくちゃ感じてるんです。さまざまなこどもや若者の居場所の選択肢をもっと増やし、リアルでもオンラインでも、こどもがもっと自由に居場所を選べる世界をつくっていきたいですね。

 

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本インタビューは、熊西地域振興財団がおかげ様で10周年をむかえ、これまでの助成交付団体に特別インタビューをした内容をまとめたものです。
平素より、当財団の活動にご理解、ご協力を賜っておりますことへの感謝とともに、助成交付先の皆さんのご活躍のご様子をお届けいたします。

【インタビュー】目の前の困っている人をほっとけなかった(NPO法人シーン)


「目の前の困っている人をほっとけない」思いから始まったポルノ被害者支援

助成を交付してもらったのは2015年。一年前に、東京の団体からポルノ被害の相談が大阪にも増えていることを受け、相談支援を手伝ってもらえないかと連絡がありました。
当時、ポルノ被害者支援に対する事業を行っていなかったので、理事会にはかり、取り組むことを決め、助成申請させていただきました。
とはいえ、ポルノ被害の支援をこれまでやったことがなかったこともあり、理事会では慎重な意見もありました。目の前に困っている人がいる中で、それを放っておくわけにはいかないという思いが強まり、理事会での合議となりました。

ポルノ被害者の支援は、被害者への負担金が求められません。被害相談はなんとかNPOの活動で無償で受けることができても、弁護士に相談しにいく交通費や研修など継続的に取り組むとなると難しかったため、助成申請した経緯がありました。2015年の助成事業を通じて、同行支援は13件、問合せは2件を受けることができました。その後の相談で、同様の手口の被害が3件あることが分かったことが発端で、刑事事件に発展した事案もあります。

ただ、正直、当初は、ここまでの事案になることを想像しきれていたかというと、そうではありませんでした。当時は、児童ポルノ法も改正前で、薄手の服水着や下着を着た子どもの写真がDVDにおさめられ、販売されていた時代です。実態を知れば知るほど、ほっとけなくなり、長く続く取組みになっています。

その後、相談カードをつくって配布したり、HPに相談窓口を開設したりと、活動を続けていますが、寄せられる相談は長期の相談になることも多く、主訴に寄り添うことが精一杯の状況もあります。

  

変わってくる社会の認識と法律

2015年からこれまでの社会をみると、#MeTooや#KuToo運動など、少しずつ声があげられるようになり、AV強要などのポルノ被害が社会化し、児童ポルノ法も改正されるなどの変化もありました。また、インターネット上に流出している画像や動画などの削除を依頼できる業者や相談できる弁護士などの情報も以前より増えてきました。それは、とても大きな変化だったと感じています。
ここ数年の相談件数は、2020年は4件、2021年は9件で、そのうち、2件は、男性からの相談です。今、支援を求めている人が、少しずつですが相談できるようにもなってきました。とは言うものの相談できている人はほんの一部でしかないことも明白です。

  

ポルノ被害者支援から気づかされる社会の歪みとその解決に向けた学校現場での出前授業

2002年から学校で、デートDVの予防に向けた授業にも取り組んでいます。他にも、シーンとしては、絵本の中のジェンダーの調査分析や保育事業など、多岐にわたる活動を継続的に取り組んでいます。
複数の事業を通じて、改めて、「女性は被写体となり、男性が消費する」構造、すなわち搾取する構造が出来上がってしまっていることを痛感し、その根深さに気付かされます。そのために出前授業では、子どもの時代に、「自己決定」や「同意」について考えてもらうようきっかけを作っていきたいと奮闘しています。

改めて、助成交付時の2015年から今までを振り返り感じていることは、社会の構造と資本主義経済を重ねて捉えなおす必要があることです。人を商品と捉え商品価値が高いことが「偉い」という価値観から、人の存在価値に優劣をつけずに多様な存在価値を共生させていく価値観へと変革させていきたいと思っています。
時には、地域社会に、「本当にそうなの?」と揺さぶりをかけながら、過渡期を迎えている日本社会において、試行錯誤しながらでも、民主的に熟議して、共生する方法論を見出していけるように、これからもその実践をつみ重ね、地域が元気になっていくことに尽力していきたいと思っています。

  

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本インタビューは、熊西地域振興財団がおかげ様で10周年をむかえ、これまでの助成交付団体に特別インタビューをした内容をまとめたものです。
平素より、当財団の活動にご理解、ご協力を賜っておりますことへの感謝とともに、助成交付先の皆さんのご活躍のご様子をお届けいたします。

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